小児性てんかんと、超短期的な記憶障害の話

 私は子供の頃、小児性てんかん(だと思われる症状)に苦しんでいました。

 

 はじめての発作は小学3年生ぐだいらったでしょうか。

 父と公園でキャッチボールをするために家を出ようとした所で、何故だか急に言葉が出なくなってしまい、父との会話が出来なくなりました。

 私がふざけていると思った父は「ふざけているのなら公園に行くのはやめだ!」と怒ってしまい、私は悲しくて、そして自分に何が起こっているのか分からず泣いて暴れはじめました。

 ようやく私の状態を不審に思った父が、言葉が出なくなっている事を悟ったのか、「大丈夫か? これが何か分かるか?」とスーパーファミコンのカセットを指をさしたのを覚えています。私は当然それがゲームカセットだと分かってはいましたが、やはり言葉は出てきませんでした。

 そのあたりから記憶は曖昧です。高熱を出し、倒れた私は周囲のものが異様に大きく見えたり、音がエコーがかかって聞こえたり、異様な感覚の中で寝込みました。

 しばらく寝ると熱は引き、症状は収まりましたが、心配した母が病院に連れて行った結果、てんかんの発作「のようなもの」という説明を受けました。……これは今でも不思議なのですが、医者も、母も、何故か「てんかんのようなもの」という表現を終始徹底していました。

 

 それからは投薬と検査が日常の一部となりました。というと大げさで、毎食後に4錠の薬を飲み、定期的に脳波と採血の検査を行うというだけで、特別日常生活への負担はありませんでした。

 ですが、たまに薬を飲み忘れると発作が起こります。

 症状としては頭痛、発熱、意識朦朧といったものが中心で、時間を置けば治る事がほとんどですが、もし屋外で発症したらと思うとぞっとします。

 そんなこんなで治療を続け、大学に入る頃には完治してくれたのですが……

 

 さてはて、前置きが長くなってしまいました。

 この発作の中で、時折不思議な体験をしていた事を書こうと思います。

 

 てんかん治療中の事です。たとえばアニメ、たとえば小説。何かの作品に熱中していて、そしてそれが終わった時…… 「頭が現実に帰ってこれない」という経験をしたことが何度もあります。

 はっきり覚えているのは、夕方にドラゴンボールの再放送を見ていた時の事。天下一武道会で、天津飯が四妖拳を使っていた回だったと思います。アニメを見終わった私は、台所の母親から「夕飯だよ。電話の子機を持ってきて」と言われました。当然私は子機を取ろうとしたのですが…… 電話の場所が、どうしても思い出せませんでした。

 おかしな話です。物心つく時から電話機を置く場所は変わっていないのに、どうしても思い出せませんでした。更に、自分の名前や母親の顔など、絶対に忘れる筈のない記憶がその十数分だけは完全に頭から抜け落ちていたのです。かろうじてトイレに駆け込んだ私は、深呼吸をしながら、何か思い出せる事は無いかと考えはじめました。すると何故か、別段思い入れがある訳でもない、通っている学習塾の事を思い出す事が出来ました。そして、学習塾から通塾の道を、通塾の道から自分の家を、たどるようにしてひとつひとつ記憶を取り戻し、ようやく当たり前の記憶を全て思い出して夕食に向かった事を覚えています。

「遅かったじゃない」と母に言われましたが、自分に起こっていた事を話すのは何だか怖くて、黙っていました。

 

 それからも何度か、この時ほど強いものではありませんが、作品読了後の短期的な記憶障害のような経験はありました。漫画や小説などでは、思い出せない事を思い出そうとすると「うっ……頭がっ」と苦しむ描写がありますが、私の場合は思い出そうとした途端に頭が真っ白になる、思考が止まる、フリーズするといった感覚でした。いざ短期間ながら記憶を失ってみて、いかに記憶というものが曖昧で簡単に消し飛ぶかを思い知らされました。

 

 今ではもうそんな事はありませんが……

 それでもたまに、物語を読了した後に、「違和感」を覚える事があります。

 「あ、そうか。これが俺の世界だったっけ」といったような、一歩引いて、確認するような感覚。もうてんかんは完治しているとは思っているのですが、こういった経験があるとたまに不安になります。

 

 ですがこういった経験・体験も何か物語を書く際に糧に出来れば良いなと、前向きに考えていこうと思います。記憶を飛ばす体験なんて、なかなか出来ませんからね。

 

 うーむ、やはり文章を書くという事は難しいですね。

 書きたかったテーマは後半なので、前半はもっと短縮して良かったです。

 戒めのために、このまま投稿しておこうと思います。

 

 

 それではまた、この世界の片隅でお会いしましょう。